縁の切れ目
子どもが5ヶ月になった頃、ママ友がひとりできた。
まだ離婚なんて考えもしなかったあの頃。
思えばあの頃は楽しい未来を想像する毎日で、自分の理想の生活をしていたと思う。
そのママ友とは、市のママさん学級的なもので出会った。
大人数でワイワイ騒ぐのが苦手な自分にとって、そういう会に参加することには勇気がいった。
縁があったのか、隣に座ったその彼女と、お互いになんとなく惹かれるものがあり、家を行き来して遊ぶ仲になった。
彼女にはなんでも話す事ができた。
子育ての悩み、お互いの夫のこと、好きな音楽のこと、たわいもない話、過去の事…
私はママ友を越えた友達ができた、と思った。
この歳で新しい友達ができるなんて思いもしなかったことである。
彼女も同じように思ってくれていたはず、と思いたい。
私が夫とすれ違い、別居や離婚になった際も彼女はいつまでも話を聞いてくれたし一緒に涙を流してくれた。
結局「夫」というものは失くしたけれど、それよりも大切な人の存在に気付くことができた。
感謝しかなかった。
離婚後も何度か遊んだりお泊まりさせてもらったり、ずっと関係は続くものだと私は思っていた。
けれど私も就活を始め今の勤め先でパート勤務を始め忙しくなったこともあり、だんだんと連絡も取らなくなってしまった。
彼女を思い出すことも少しづつ減っていってしまった。
離婚後に彼女に不安を打ち明けた時のことで忘れられない言葉がある。
「残念だけど私にはあなたの気持ちが多分ずっとわからない」
悪意なんて全く無い。正直な彼女の言葉。
その言葉で、ああ、境遇が変わってしまったんだなあと感じた。
多分私もこれから彼女が感じる悩みや不安、出来事に共感できることは少なくなっていくんだろう。
少なくどころか、全くわからないかもしれない。想像することはできても。
あったかもしれない未来。
同じ私立の幼稚園に入園、2人目のこどもをいつ頃産むか、小学校受験、こどもの習い事、夫の愚痴………
分からないことはどんどん増える。
そうこうしているうち、何ヶ月も連絡を取らなくなってしまった。
彼女と会わなくなって半年以上経った頃、仕事終わりにスマホを見ると彼女からの着信履歴があった。
たった半年だったけれどなんだか懐かしいその名前。
電車に乗るところだったのでLINEを送った。
すると電話なんてかけてない、私がかけてきたんじゃないの?
と、身に覚えが無いようだった。
ここからきっと私が悪かったのだが、
着信履歴のスクリーンショットを添え、着信来てたよ!元気にしてる?と送ってしまったのだ。
そのあと返信が来なくなってしまった。
考えると気持ちが悪かったのかもしれない。
身に覚えの無いことで証拠画像まで送られ、元気?なんて…
なんだか詐欺っぽさがある。笑
数ヶ月も連絡を取らなかったシングルの友人からいきなり連絡。
お金に困ってネズミ講にでも手を出し、勧誘しようとしてるのかも…などと疑われても仕方がない。
↑は完全な私の妄想だけれど。
いつまで経っても返信は来ず。
あ、縁を切られたのだな。
と、ふっと感じた。
彼女が悪いなんてちっとも思わない。
むしろ連絡を怠った自分、恩を踏みにじったと思う。
きっと離婚していなければ今頃まだ彼女と会ったり話したり、もっと深い仲にもなっていたかもしれない。
子育てひと段落したら一緒にふたり旅しようね、などと話していたのである。
そういう未来もあったかもしれない。
だけどそれはもうありえない未来。
想像して楽しむのも虚しいだけだ。
彼女には彼女の、私には私の違う生活があるのだ。
それをお互い大切にしていければいい。きっと。
とても寂しいけれど、案外私は落ち込んではいない。
育児や仕事、親との関係。考えることは他に色々あるのだ。
悲しい気持ちを埋もれさせることは簡単だ。
そういうふうに悲しい気持ちを見えないようにできる技を身に付けてしまった自分を白状に思いながらも、また私は同じような日々を送る。
助けてほしい
つまるところ自分は何に対しても人任せなのだと思う。
決定権を相手に委ねる
ずるい手法だ。
自分のせいではない
と思いたい。
ネガティブながらいつだって自分を守ることに精一杯だ。
そのことを気づかせてくれた人がいる。
だけどその人に感謝しているかというとそうではない。
ならば助けてほしい
と思ってしまうのだ。
人に縋る事で安心する。生きていける気がする。幸せになれる気がする。
自分の選択のようでそうではない。
相手が決めてくれるのを待っている。
そういう都合のいい人間なんているのだろうか。
いたとして、私は相手を思いやることはきっと出来ないんだろう。
そんな自分が子育てなんて
にんげんを育てているなんて
許されることなんだろうか
こんな事を書いている時点で、人任せの人生を自分は求めていないのだ。と気付いてしまう。
自分で決める事はしんどいことだ。
難しくて面倒くさいことでもある。
更にもし失敗してしまった場合、自分だけではない、子どもの人生までも台無しにしてしまう可能性だってある。
とても、重い。
けれどひとりの人間の人生を台無しに、なんておごった考えなのかもしれない。
この小さな男の子にだって、気持ちが、感情があるのだから。
誰かに縋りたい。逃げ出したい。
泣き出して投げやりになってしまいたい気持ちを抑えながらただただ頑張って日々を生きていくしかないのかな、と思う。
もやもやの吐き出し口
はじめまして
とこ
シングルマザー
2017年に調停離婚
現在実家暮らし
パート勤務
離婚して一年が経ち、シングルとしての今の生活がふつうに感じるようになった。
なにが「ふつう」なのか
子どもの、自分の幸せとはなんなのか
この頃自分の気持ち、考えていることがわからない。
ただただひとりを実感する毎日。
ひとりの子どもを持つ親として持つべきではない感情なのかもしれないけれど。
周りと比較して得られる幸せなんてありえない。
わかっていながらも現実を受け入れるのが難しい。
思えば自分の気持ちを嘘偽りなくさらけ出す行為をどのくらいしていないのだろう。
自分というものを持っていないのだと目には見えない何者かから突き付けられ、勝手に傷つき、それでも変われない自分をどのようにすれば良いのだろう。
ぽっかりと悲しくなる瞬間が何度もある。
そんな暗いものを吐き出す場所としてブログを作ってみた。
変われるかどうかは別として。